2011/11/29

お手本のような詭弁を見た。

ツイッターでこんな文言を見かけた。

普通の家庭を描いていたクレヨンしんちゃんやサザエさんが今では幸せで理想の家庭として扱われ、個人単位では勝ち組のポジションを築いた人達が「普通の女子大生」「普通の会社員」を自称する。現代では「普通の〇〇」という言葉は「理想の〇〇」を指している言葉であることに気が付かないと心が折れる。
http://twitter.com/#!/zirou1984/status/138983078663176192


 おそらくは以下の記事、
普通の女子大生がなぜ、Google+で「日本一」になったのか
http://nanapi.jp/topics/68
そしてそれを受けて書かれた、
真性引き篭もり: 普通の女子大生は、Google+で「日本一」になんかなっちゃいない。
http://sinseihikikomori.blogspot.com/2011/11/google.html 

を踏まえてのものなんだろう。大量RTされていたこともあり、一瞬「なるほど」と思いかけたものの、次の瞬間には違和感を感じ、ついに思わず突っ込みたくなったので書いてみる。

(ちなみにリンク先の「普通」に関する議論自体は大変興味深いので、それはまた別に考えていこうと思う)


結論から言えば、「クレヨンしんちゃんやサザエさんといった、設定当時『普通の家庭』と考えられた家庭が現在では『理想の家庭』と捉えられている」ということと、「成功した女子大生や会社員が『普通』を自称すること」には何のつながりもない。しかも「現代では『普通の〇〇』という言葉は『理想の〇〇』を指している言葉である」とあるが、前段からこれは導かれない。論理構造が破綻している。

関連のないものをさも論理的につながりがあるかのように語る典型的な詭弁と感じる。それだけでなく、この主張の繋がりとは直接には関係のない、社会的マイノリティに関する「普通であることの難しさ」といった議論をさりげなく回収したり、社会格差やワーキングプアに関する連想を絡めて二重に関連性を想起させている点もあざとい。

ちなみに二重の関連とは、
・昔の「普通の家庭」が今では「理想の家庭」に
→現在は格差が広がって多くの人がその「普通」には届かない 
・成功者が「普通」を自称する
→多くの人は成功者の騙る「普通」には届かない
・現代では(例に挙げたように)「普通の〇〇」という言葉は「理想の〇〇」を指している言葉であることに気が付かないと心が折れる
→「普通」の社会的成功を目指して頑張ると挫折は必至

のように、言葉の裏側に社会格差との戦いなどをダブらせているのである。

しかし最初に述べた通り、昔は「普通の家庭」であったものが今では「理想の家庭」と呼ばれるようになったからといって、成功者が「普通」を自称したからといって、「現代では『普通の〇〇』という言葉は『理想の〇〇』を指している言葉である」なんてことにはならない。私たちは実際そんなことを思ってはいない。また成功者が「普通」を自称することによって、「自分にもできるかも知れない」と思い込んだ者が挫折することはあるだろうが、それは決して「普通」のハードルが上がっているのではない。「理想へ至る過程」のハードルが下がっている(ように見える)のである。


このように、一見それっぽいなと思う言説でも、少しでも違和感を感じたら一歩立ち止まってよく考えてみるようにしたい。3.11以降の原発をめぐる議論のようにイデオロギーが激しくぶつかり合う場のみならず、日常的に接する主張や言説(それこそメディアの報道とか)にも意図的に関連性を騙り、誤った結論に導こうとするようなものは少なくない。そんな中でも「なんとなく」理解したつもりになって終わらせるのではなく、違和感を感じたものは積極的に解決を図ったり、そうする余裕がなければ結論を保留するなどして簡単に靡かない態度をとることが、(私の思う)誠実な市民としての第一歩になるのだと思う。

少々の自戒を込めて。

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