2012/12/30

医学部入試で面接試験0点の話。

なんだか朝日新聞に掲載された医学部受験に関する記事が一部で話題のようです。


朝日新聞:入試面接0点、なぜ 今年医学部不合格「採点基準は」
http://www.asahi.com/national/update/1224/TKY201212230769.html

秋田大医学部医学科の今年春の入試で、筆記は高得点だった女子受験生(18)が、前後期とも面接で0点で不合格になった。 (中略)  今春の秋田大医学科の一般入試は、前期はセンター試験を550点、2次の英語・数学が各100点、面接200点の計950点で合否を判定。この受験生は2次の筆記までは9割以上の得点だった。面接で117点以上なら、公表されている合格ラインの797.9点に届いていた。(中略)

後期はセンターと小論文、面接だった。家族が大学に情報公開を求めると、2度の面接とも0点と分かった。


結果的に不合格だったとしても、学生側は手応え以上のものは持ち合わせていないため得点の開示を求めたわけですね。するとなんと面接点が2回とも0点だったと。大学側も理由に関して「総合的に判断した」としか言わなかったのなら、これはどういうことか!ってなりますよね、普通。

ただしこの話題、単純に面接試験の恣意性だけの問題では片付けられないと思うんですよね。とりあえず、まず医学部入試における面接の位置づけを述べます。

私自身の経験と、その他教官を含み聞きかじるところによれば、医学部入試(特に地方国立)における面接試験は、点数の比重はともかくとして採点はかなり大雑把のようです。というのも個々人のコミュニケーション能力を面接において推し量ることなど困難なのは面接を担当する教官も十分わかっており、その分面接で差をつけることは考えていないからです。

つまり、基本的には皆似たり寄ったりの点数になります。そしてそれはおそらくこの秋田大学でも同様で、だからこそ雑談のような面接内容に終始したものと思われます。参考までに私の所属する大学での面接試験は、「医師になる上で人格または社交性の面で著しく問題がある」と判断された受験生をふるい落とすためにあると言われています。例えば、

「十分なコミュニケーションがとれず、面接が成立しなかった」
「生命の尊厳を著しく毀損する発言があった」

といった場合です。もちろん実際にこのような理由で筆記試験において十分な成績を上げている受験生を不合格にすることは稀で、よほど顕著な場合にしか用いられないと思われます。したがって、この面接をパスした学生の中には「問題なし」とはいえない者もそれなりに含まれます。

はてなのメタブクマで星が26個もついていたコメントに、「じゃあその割に人格破綻した医者が散見できる理由を説明して暮れやw 面接機能してないんじゃね?」とかいうのがありましたが、そんなの一回の面接でわかるわけがありませんし、そこまでカットラインを上げてしまうとさほど問題のない学生まで少数刈り取ってしまうことになりかねません。


話を記事に戻します。正直今回の件に関していえば、私にはなぜ彼女が面接で2回とも0点をつけられたのか推測がつきません。確かに面接を担当する教官が女性を蔑視しないとも限りませんし(実際にそういう教官はいる)、高校に進学できなかったことを気にする可能性もありますが、それらは0点にする根拠としては非常に弱いものに思われるからです。

ほぼ面接のみの点数を落とせば不合格にすることが可能な試験において、それでも0点をつけたということは、普通それなりの根拠があるはずです。結局のところ、なぜ面接官が0点をつけたのかについては情報が足りないためなんとも言えません。あまり憶測でものは言いたくないのですが、面接官がひどく差別的な採点をした可能性もありますし、受験生に人格または社交性の問題があった可能性のどちらも考えられます。


先程も述べましたが、この話はもっぱら話題を呼んでいる「入試の採点が恣意的であっていいのか」といっただけの問題ではなく、非常に面倒な側面を孕んでいます。

原理上はもちろん恣意的な審査は極力避けるべきで、究極的には面接試験自体の是非も考え無くてはならないというのは主張としてわかります。今回の件でも、秋田大学は少なくとも採点基準を明らかにする必要はあるでしょう。その点において、「総合的に判断した」コメントは批判されて然るべき類のものであるとは思います。

しかし一方で、「将来的に他人の生命に責任を負う者の人格的な側面を評価しなくてよいものか」という問題は常につきまといます。結局入学後の学部内の試験であっても、人格の適正をみる試験(OSCEとかありますが…)において恣意性は免れないのであり、医学部が競争率が高く、また専門学校的要素が非常に強い学部であることを鑑みれば、入試の時点で振り落とすというのも一つの手段ではあるわけです。この問題に、肯定にせよ否定にせよ一定の見解を示さずしてこの問題を斬ることはできず、このスタンスが曖昧なままの議論は、私としては大変「もにょ」るところです。

オチがないようでアレですが、今回はこんな感じでひとまずしめたいと思います。

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