2013/05/30

扇動に乗らない


先日のTwitterでの上杉隆や武田邦彦についての言及に重ねて、思ったこと。

「相手を感化させる能力が高い相手には、他の能力も高いように錯覚しがちである」ということに自覚的であることは個人にとって有益なだけでなく、社会リソース運用の効率化という公益性も持つ。

その自覚形成のためには、例えば「できれば腕もよく、人間的にも優れた医師に診て貰いたい」というような他者へのカリスマ性の希求を打ち捨てることには意味があるのではないか。それは「信じる/信じない」、「託す/託さない」という二分法の怠惰からの脱却でもある。

都合よく現実を理想の側に引き寄せていないだろうか。自分が本当は何を求めているのか、どれだけのハードルで満足できるのか、ちゃんと自分に聞いてみること。

認知的不協和に陥らないために。

0 件のコメント:

コメントを投稿