2015/04/29

写真夢想



私が写真をかじりはじめて1年半くらいになるけど、写真を始める前と後では随分と考え方が変わったなあ…なんて最近思うようになり。


「背景」を感じる


よく言われることだけど、これまで特に注意を払わずスルーしていた身の回りの景色が、何か意味を持ったものに見えてくる。

それは通勤に使うごく普通の道路だったり、自宅近くの小さな公園であったり、隣家の植物であったり。そういうものでも、いざ「被写体になってくれるものは…」なんて調子で見ていくと、自然とこれまで感じることのなかったディテールが目に留まるようになる。あまつさえ特別な感情さえ抱かせる。

街路の名前も知らない小さな花に逞しさを覚え、古い看板にそこはかとない哀愁を想起させられる。よく手入れされた庭木に隣人の律儀さを見、時代を感じさせる店構えに何か意地のようなものを感じ取る。

そういう体験が増えた。

それで何かが変わるわけじゃないけど、「感情に訴える」ということがどういうことなのか、少しずつ理解できてきた…気がする。


せっかくなら、と外へ出る


もともとイベントごととか大して興味もなくて、どちらかと言うとインドア派。それでも一眼を手にしてみると、多少の面倒くささをかなぐり捨てて、「ちょっとだけ撮りに行ってみようか」なんて気になってくる。特に用事なんかなくても、「あの公園の花、そろそろ咲いてるんじゃないかな」なんて。

当然だけど、イベントにしろ、単なる外出にしろ、行ってみないと良さがわからないものって多くて(逆に残念さもね)。いい被写体を見つけにいったつもりが、写真そっちのけで遊びに興じたり。なぜか知らない人と仲良くなったり。

「良い被写体はいねが〜」なんて、悪い子を探すなまはげみたいになっていろいろ追いかけ回してるうちに、インドアどんと来いだった私が、むしろ活動的な方になっていた。これまでは計画倒れになりがちだった思いつきも、「まあ写真撮るために行くと思えば」と、なんとか実行に漕ぎ着けられるようになったのは、思わぬ収穫だった。

私は活動主義者ではないから、活動的なのが必ずしも良いとは思っていないんだけどね。何か活動的なことがしたいけど、何をしたらいいのかわからない人へ。


思い出を焼き付ける


当たり前すぎて忘れそうだったけど、一番はやっぱり思い出を綺麗な形で残しておけること。大抵の記録写真って、1年程度は「あー、行ったなあ」なんて見返すこともあるけど、そのうち印象は薄れ続け、顧みられることなく忘れられてしまう。

自分で本当に気に入った写真を残すことができれば、それをとっかかりにまた色々な体験を思い出すことができる。そういう思い出のタグとしての写真は、腕をあげるほどに強い印象となって記憶に焼き付いていく。




写真趣味なんて、プロや一部のアマチュア上級者を除いて、単なる自己満足の世界なのは確か。レンズを揃えればかなりお金もかかる。「そんなにお金と時間をかけてまで、被写体の亡者になりたくない!」という意見はもっともだ。

でも、日常をいかに楽しんでいくかって、大事だと思うんだよね。些細なことでもインスピレーションを刺激される日常って、なかなか楽しいものだと思う。単なる自己満足。でも、自己満足でいいんじゃない。

「あなたも写真、いかがですか?」
なんて、気軽にはすすめられないけど。いいと思うよ、写真。

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